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小松英雄トークショー [伊勢物語]

8月7日土曜日
19時から
池袋のジュンク堂で、小松氏のトークショーがあった。


私は、
これまでのブログでも、何度か小松氏の話をしているので、
私の小松氏に対する思いは、そちらを読んでいただければおわかりだと思う。


簡単に言えば、
私の心の師匠である。


実際の師匠は、
大学のときと、大学院のときとで2人いるのだが、

小松氏は、
彼らに勝るとも劣らないほど、
私に教えてくれた師匠である。

彼は今、
だいたい80歳近いご年齢なのだが、
勘は冴えに冴えている!!!


しかし、いわゆる自分が学者だと偉ぶって井の中の蛙のように
あぐらかいてる専門家に比べて、
若く、発想が豊かであり、堅実でありながら、かつ、光っているのだ!

堅実であると、どうしても地味になるもの。

しかし、彼は違う!


こんな年齢の先生に、
こんなすばらしい人がいたのか!!

と、大感激した私は、すっかり小松氏の虜となりました。


そこで、トークショーにもいって参りました!


『伊勢物語』をみずみずしく甦らせる!

という最新刊についてお話してくださいました。

題名にそぐわずみずみずしくない人間が出てきてすみません。


というネタ(笑)に始まり、
思ったとおりの小松節!!!


あっという間の90分。


しかも、最後にはまだ発売されていない最新刊が、
先行販売!

しかもしかも、サイン会まで開いてくださいました。


感謝です。



小松氏の話を聞いたら、
自分も研究しっかりやろう!と前向きになれます。





新刊は、
『伊勢物語』の表現を掘り起こす
という題名で、笠間書院から出ます。

ちなみに、1900円です。

高校時代に古文が嫌いだったという人は、
まずは初段のー解説だけでも読んでみてはいかがでしょうか?

のっけから、古文の面白さに引きずりこまれると思いますよ!
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「伊勢」ホモの補足! [伊勢物語]

ちょっと、前回のを補足させてくださいな。

ホモ・ソーシャル

と言いましたけど、これと

ホモ・セクシャル

は、別物ですので、ご注意くださいね。

「ソーシャル」は「社会」
「セクシャル」は「性」

ですよね。

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伊勢物語とホモ [伊勢物語]

さあ、ここらでまとめておきます。
四回もに渡ってしまってすみませんでした。

前回まで、
娘をここみちゃん
父親をキムタク
ここみLOVEな男をとしちゃんとして、
このとしちゃんを、キムタク家おかかえマンにしてました。

改めて、
本文通りの設定でいきますね。

父親が在原業平をモデルにした「男」。
業平といえば、歌のスペシャリストです。
娘の名前はありません。
恋する男は、藤原敏行。
別にお仕えしている人ではありません。
業平と交流の深い人です。
平安時代の歌人、とされている人物でもあります。

さて、娘については、次のように書かれています。

「されど、若ければ、文もをさをさしからず、言葉も言ひ知らず、いはむや歌は詠まざりければ、かのあるじなる人、案を書きて書かせてやりけり。」
(業平の娘は、若くて、手紙などちゃんと対処できず、言葉もまだ不得手で、まして歌など読めないので、業平が書いた歌を娘に書かせて敏行に送った。)

ということで、
敏行は、業平の詠んだ歌に感動していた、というのが真実だったわけです。

これを解釈してみると、
当時は、父親が娘の恋のために、一肌脱ぐんですね~。
親がこんなに介入するなんてね。
女性本人が歌を書かなくても、代役で書くことは、当時当たり前なんですよね。

みたいなことが言えます。
間違いではありません。
それはそうなんですけど、ここでは別のことを強調していきたいと思います。

『伊勢物語』って、在原業平をモデルにした、ある男の一代記で、
この男の恋の遍歴を書いていく、
色好みの物語だ、という説明が文学史的には為されているかと思います。


ですが、どうでしょうか?

「身を知る雨」を通して見てみると、男女の恋の話というよりは、
業平と敏行の歌を通しての交流になってませんか??

表面的には恋の話をしているようでいて、
その実は、男同士の交流になっているんです。
敏行も手紙を受取って、それがまったく、業平の手が入ってないと思うはずないんですよ。
さっきも言ったように、親が介入するのは当然ですから。
それに返事が来て、その歌のレベルを知れば、
「ん?これは、業平が手を入れたか?」と勘ぐるでしょうし、
そもそも、手紙を出す前に、あの業平の娘に手紙を出すわけですから、
自分の手紙が読まれるのではないかと覚悟して、歌を詠むはずです。

つまり、「身を知る雨」は、男女の恋の歌のやりとりが書かれているのではなく、
業平と敏行のつながりが書かれているんですね。

一言でいえば、
ホモ・ソーシャルな世界
なんですよ、『伊勢物語』というのは!!
色好みの恋の物語、というのは、表面的でしかないんです。

たとえば、
かの有名な「東下り」の段もそうですよね?
恋に破れたか、政治的排除か知りませんが、
東国に下ったのは、妻や恋人を排除した、男のみ
妻や恋人を慕うにしても、その歌を詠みあうのは、男同士
男同士の共同体を再確認するのが主の目的。

また、業平が年をとってからもそうです。
惟喬の親王とのつながりです。
親王が出家したとしても、雪かきわけて会いに行くようなオレです。
という。

藤原敏行というのも、『伊勢物語』の中でちょこちょこ登場する男です。

どうでしょう!?
『伊勢物語』の世界観が、少し
変わったのじゃないでしょうか??
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としちゃんとここみの恋 [伊勢物語]

さて、後日談です。
(『伊勢物語』「身を知る雨」)

もう、二人はできちゃいます。
とはいえ、通い婚ですから、一緒には住んでいません。

さあ、としちゃんがここみんちへ遊びに行こうと思った矢先。
雨が降ってきそうな空模様だったんですね。

まろは、高校時代、
雨が降ってたら、たいてい学校は休んでました。
雪なら、なおのことですね。

だって、濡れるの嫌だし。
駅までチャリだったし。
傘さしながら、チャリ乗るなんて、怖いし(笑)

まあ、今も昔も、おそらくそういった心境は変わらんでしょう。

雨が降りそう → 行きたくないなあ

という。
としちゃんも、そんな気持ちになっちゃったんですね。

てなわけで、ここみちゃんに手紙を書きます。

「雨の降りぬべきになむ見わづらひ侍る。身幸ひあらば、この雨は降らじ。」

降りぬべき・・・今にも降ってきそうだ。(※「ぬ」(強意)+べし=きっと~、~してしまう」
わづらふ・・・困る
侍り・・・丁寧語(です・ます)
じ・・・~ないだろう

「雨が今にも降ってきそうなので、あなたに逢いにゆこうか、迷っています。もし、私の身に幸せがあるならば、きっとこの雨は降らないでしょう。」

としちゃんは、雨が降りそうだから行きたくないなあという気持ちを伝えつつ、もし雨が降ったとしたら、私も不幸なのだといいわけがましいのです。
ゆえに、ここみとしては、「なんなのよ!」と怒り&「来てくれないの!?」という訴えの返信メールを送るべきなのですね。

ということで、ここみ。

「数々に思ひ思はず問ひがたみ 身を知る雨は降りぞまされる」

思ひ思はず・・・あなたが私を思っているのか、いないのか
問ひがたみ・・・「問ひがたし」+「み」(ミ語法・・・原因・理由「~ので」)問いがたいので。

「いろいろと、あなたが私のことを思ってくれているのかいないのか、気になりますけど、やっぱり聞きにくいものです。ですから、私のこんな気持ちを知ってくれる雨は、私の涙となって、今にもますます多く降ってくることでしょうね。」

ここみちゃん、
「私のつらさを知って、雨が降ってくるから、良かったわね、あなた来なくて済むわよ」
とまで、強きに言ってるかどうかは、深読みですけど、
でも、この歌の効があって、としちゃんは、、、、

「蓑も笠も取りあへで、しとどに濡れて惑ひ来にけり」

雨具類を手にするいとまもなく、いっそいで、雨にずぶ濡れになりながら、駆けつけたとさ。

それにしても、当時の歌のやりとりを見ていると、
女って強い!!と思わずにはいられません。


ただし、今まで3回にわたり、
としちゃんとここみの話として書いてきましたけど、
実は重要なところで、本文を変えて話していました。

最初のところで、
ここみちゃんは、キムタク譲りの歌の才能がない、
とお話しましたよね??

ということで、
今までのやりとり、
実は、
すべてお父さんのキムタクが作っていたんですよ!

これが真相。

あと、もう一回続きます。

まとめを次回。

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古典のナンパ★ [伊勢物語]

さて、前回の続きです。
『伊勢物語』の「身を知る雨」

としちゃんが、ここみちゃんに
愛を届ける場面で終わってました。

では、としちゃんの歌を見てみましょう!

「つれづれのながめにまさる涙川 袖のみひちて逢ふよしもなし」

つれづれの・・・退屈
ながめ・・・「長雨」と「眺め(物思いにふける)」の掛詞
ひちて・・・濡れてびっしょり、くたくたになる。
よし・・・手段

毎日が退屈ですよ。こう長雨ばかり降り続いてはね。
でも、それ以上に、あなたへの思いで、
毎日物思いにふけっているのですよ。
涙も止まりません。
この川は、雨による川じゃありませんよ、
私の涙です。
その涙川で、私の袖は濡れるばかりで、
あなたに会いに行く方法がないのです。。。
あなたに逢いたいものです・・・。


とまあ、
ちょっと言葉を足しながら訳したので
長くなっちゃいました。

さあ、それに対するここみちゃん。
どう返信メールを送りましょう!?

「そんなに泣いてるの?かわいそうに・・・」

これじゃ、だメール!

もっと、男をじりじりと
泳がせおいて、
疲れたところをひょいっと釣るんですよ。

そう、まさに「釣り」と一緒です。

「浅みこそ袖はひつらめ 涙川 身さへ流ると聞かば頼まむ」

浅み・・・浅いので (※形容詞語幹+み =原因・理由~ので)
ひつ・・・さっきの「ひちて」と一緒
頼まむ・・・信頼しましょう

袖が濡れるだけということは、
川が浅いからなんでしょうね。
つまり、私への思いも、それと同じで「浅い」ってことでしょう??
もし、体ごと流されるくらい深い川なら、
それくらい私への思いが深いというなら、
あなたについて行ってもよろしくてよ。

とまあ、こんな感じですわ。

うまいですねえ。

何がうまいかっていうと。
当時、「涙で袖が濡れる」というのは常套文句でして、
そこに対して反発することって、あんまり聞かないのです。

でも、ここみちゃんは、そこを攻めた。
「袖が濡れる」ということから、
「体が流されるわけじゃない」。
ということは、「川が浅い」、、、、ならば、
「私への愛も浅い」。

このような論理を展開したんですね。

としちゃんの「袖のみひちて」の「のみ」を
これだけ掴んで、返信をする。
言葉に対して、どれだけ敏感かが知れる返信になってます。

そこが、歌のうまさ!なんですよね。

としちゃんは、この歌を大切に箱に入れて、
取っておいたそうですよ。

さて、後日談はまた次回。
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ナンパの切り返しを学べ。 [伊勢物語]

お久しぶりに、古文を読んでいきましょう。

習う場合には、おそらく高校二年生で習うかな、と思います。

「伊勢物語」の中の「身を知る雨」という一節です。

これは、男女の和歌のやりとりのおもしろさが書かれているんですけど、

高校二年生だと、ちょっと大人びた人なら、
面白いと思ってもらえるかもしれません。


では、中身に入る前に、簡単に「伊勢物語」について復習しておきましょう。
「伊勢物語」については、このブログの「入門編」のところでも、「狩りの使い」という一節を読んでますので、そこも参考に読んでいただけると大変ありがたい!です。

ここでは、簡単に言っておくと、
男主人公は、在原業平(ありわらのなりひら)という男性がモデルになっている、
ということだけ確認しておければいいです。

とはいえ、この男は誰?って状態でも、別にかまいませんよ。
要は、和歌のスペシャリストってところです。

たとえば、SMAPでいうキムタクみたいな感じかな。
顔はかっこいいわ、歌はうまいわ、男からみても、「いい男」っていう・・・。

今でも、男とカラオケ行ったら、下手な歌歌う人より、
うまい人に惚れちゃったりするでしょ?

今でいうところの感覚でいうと、そんな感じです。

じゃあ、今から十年後のキムタクってことでいきましょうか。
ちょうど、キムタクには娘さんがいますし。
ここみちゃんでしたっけ。

では、「身を知る雨」の話に入りましょう。

キムタクは、年をとっても、まだまだイケメンでした。
そして、ここみちゃんも少しばかり大人になっていました。
でも、キムタクが甘やかした(のかは知りませんが)、
お父さんの才能を、あまり受け継いでいなかったみたいですね。

お父さんは歌がとっても上手だったのに、
ここみちゃんは、あんまり。というか、苦手だったんですよ。

これじゃあ、カラオケに行ったとき、
「えっ、この女の子、歌、下手じゃない??」とか言われて、
好かれるものも、好かれなくなっちゃう。。。

やばいよやばいよ。(出○風)

さて、このキムタク家にお仕えしていた男がいたんです。
本文では、「藤原敏行(ふじわらのとしゆき)」という名前なんですが、
「としちゃん」(田原彦似ってことで←古)と呼んでおきます。

このとしちゃんが、お仕事中に、
部屋の中のここみちゃんを、ちら見しちゃったんですよね。
運良く、ここみちゃん、お着替え中ではありませんでしたよ。良かった良かった。

やっぱ、静香とキムタクの子供ですから、そこそこかわいいんですよ。

えっ、そんなことない!?
まあ、そこらへんは、流していきます。

と、とにかく。
としちゃん、ひとめぼれしちゃいます。

「よっしゃ、ここは、一つ、彼女のために、歌を送ってやるぜ!!」(by としちゃん)

(え~、そんなの寒いんだけど・・・)
という現代風な感想には蓋をしておきましょう。

イケメンが歌詞に思いを込めてカラオケで歌ってくれる?みたいな感じっす。
(えっ、これも寒い??・・・・んもう。)


ってなわけで。
ここから、としちゃんのナンパが始まります。
さあ、歌の苦手なここみちゃんはどうするのか??

次回は、ちゃんと古文を見ていきます。


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古典入門講座 その十 [伊勢物語]

むかし、ことなることなくて、尼になれる人ありけり。かたちをやつしたれど、ものやゆかしかりけむ、賀茂の祭見にいでたりけるを、男、歌よみてやる、
世をうみのあまとし人を見るからに めくはせよとも頼まるるかな
これは、斎宮のもの見たまひける車に、かく聞えたりければ、見さして帰り給ひにけりとなむ。(第百四段)

これは、昔男と斎宮の後々の再会シーンです。
訳を簡単に言うと、、、
昔特別な事情もないけど尼になっちゃった人がいましたとさ。出家して姿を変えていたけれど、好奇心にかられたのだろうか、賀茂の祭を見に町中まで出かけてきたところを、男は歌を詠んで送った。
世の中を恨んで尼になってしまったあなたを見ると、たまらず、「私の方を見てください」と自然とお願いしてしまうことですよ。
これは、斎宮が祭を御覧になっていた車に、このように申し上げたので、斎宮は途中で祭を見るのをやめて帰ってしまった、ということだとさ。

という具合な話で、二人の恋は終止符を打つ。
和歌の訳がおもしろいんだよねぇ。ここでは本音の訳のみを出しておいたけど、うまい具合に掛詞になっていてね。表面上の訳が笑っちゃうんだよ、これが。
「うみ」は「憂み」(つらいので。「形容詞+み=ミ語法」→~ので)と「海」の掛詞。
「あま」は「尼」と「海女」。「見る」は「見る」と「海松」(海草のこと)。
「めくはせよ」は「目配せよ」(こちらを見てください!の意)と「芽食はせよ」(海草を食べさせて!の意)の掛詞。

これらの裏側の掛詞をつなぎ合わせるとこうなる……。
生活を海にしている海女さんであるあなた(が採っている海草)を見ると、たまらず「私にその海草を食べさせてください!」と自然とお願いしてしまうことですよ。

一体、どれだけ腹へってんのか、この男は?……みたいな訳になるのである。
これを表面上にして、さっきみたいな斎宮に対する恋歌を歌うたぁ、何事か。
当時もこんな歌に情趣もへったくれもなかったんじゃないだろうか?
こういうところが『伊勢物語』って感じがする。
当時すでにあった歌を利用して、ストーリー展開に合うようにはめ込んでいく手法。
全体的には喜劇風で、こんな歌まで斎宮と男のロマンチックな最後の場面に持ってきちゃうなんて。

ってなかんじで、まあ二人は終わっちゃったんだよね。

授業終了後、お掃除に行くと、ある生徒がこんな質問をしてきた。
「先生、昔男は結局斎宮にふられちゃったんですか?」
「……う~ん、どうだろうね。ふられた、というよりは、ふらせてあげたって感じじゃないかな?もし祭で互いの存在に気づいていて、男が女に何も声を掛けなかったとしたらどう?女は今更こいつとどうなるつもりもないとしても、無視されるのはそれはそれで屈辱じゃない?男もそこらへんの女心を知っているからこそ、敢えて今でも好きだという思いを歌に詠んだんじゃないかなあ。そして女から男を断ち切った。なんて、まろは思うけど。それが色好みなんじゃない?」

すると他の生徒が、「でも、斎宮はせっかく祭を見たくて来たのに、途中で帰るなんてかわいそう。」
う~ん、それもそうだね。
この頃、賀茂の祭、別名葵祭は、貴族のみならず民衆たちの一大イベントだったんだ。誰もが見たがるそんな祭。今でも京都でやってるよね。まろは行列が嫌いだからまだ見たことないんだけど。

思いかえしてみると、斎宮さんは同じようにみんなに見られて伊勢の国に下っていったんだよね。
賀茂の祭は、京都上賀茂神社の斎院さんの行列のこと。斎宮さんと、ちょっと違うけど似たような境遇にある斎院さんの行列ってこと。祭の最中に男に声をかけられて、過去を思い出すのには最もふさわしい場だったのかもしれないね。

以上、8回にわたり『伊勢物語』「狩りの使」を読んできました。
これは2006年一学期、高校二年生の授業内容です。
本当はこの後に、『伊勢物語』「狩りの使」の場面に影響を与えている漢文作品として、「鶯鶯伝」(唐代伝奇)を読んで、比較鑑賞をする、ということをやりました。

ー完ー


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古典入門講座 その九 [伊勢物語]

ここらで、この当時の恋の仕方ってのを確認しておこうね。
まず男は、きれいな娘っこがいるという家の噂を耳にする。
きれいな、という容姿だけじゃなくて、和歌の才能があるとか字がきれいとか、楽器が上手などなどいろいろ惹かれるポイントってのはある。
そして、情報を手に入れた男は、とりあえず覗き見。
悪趣味だろうと何だろうと、覗き見!
垣間見って言葉は聞いたことあるよね?今だったら犯罪になっちゃうけど、覗き見ってのは当時の恋においては重要な要素だったんだよ。だって、女はめったに外になんて出ないし。

とはいえ、ばっちり女の顔や姿を見ることができるなんて、めったにない。
「ええい、ままよ!」ということで、娘っこにお仕えしている侍女を通して、ラブレターを渡す。
女は、どきっとしたり、嬉しいわ♪なんて思ったりしても、とりあえず「あなたが恋慕っている人は別の人じゃありませんこと?」なんていうお返事を出すのが常套手段。
間違っても、「へい、カモ~ン」的な受け入れメッセージを一回で出しちゃだめなんです。
男には気をもませないとね。とことん!

男は女を落とすべく、何度も何度もラブレターを書きます。
女は「ここいらが潮時?」なんて思ったら、「ふっ、負けたわ」的な返事を出してあげます。

さてさて、結婚式が始まります。
男は必ず三日間は女性のもとに通わなくちゃいけません。ここ、ポイント。
女の家族たちは、男が通ってきているのを知っていても、知らんぷりをするのがマナー。
そして三日目は「ところあらわし」といって、今でいう披露宴が開かれます。
ここでは、男の親は出席しません。女性の家がもてなします。

まぁ、簡単に言っちゃえばこんなところなんだけど、ここで押さえておいてほしいのが、「男から通う」ということと「三日間で正式な結婚」という2点です。

まず、「狩りの使い」ではどうでしたか?
斎宮さんから男の寝ている所へやってきたよね?
これは当然、女性が斎宮という特殊な事情による。男から通っていくなど無理だから。
そしてそして、斎宮が男を訪ねて、次の日に手紙のやりとり。これが「後朝(きぬぎぬ)の文」といって、男から「昨日の君はステキだったよ」なんていう手紙を女性に送るのがマナーなんだけど、これまた例外的に、斎宮さんから送ってきている。
なんだか、非常に無理のある「恋」をしているってかんじですわな。
さらに、男は二日目の夜を期待していたわけだけど、接待されちゃって断念。
んでもって、次の日は尾張の国へ行っちゃう・・・ってことで、・・・・・・
って、……おおーーーい!!!

気づいた?
初めからこの二人の恋には三日目はなかったってことに!

別に急に明日尾張の国なんて決まったわけじゃないっしょ?
じゃぁ、わかっていたのに、恋を始動させてしまったってか?
真面目な恋なら、きちんと三日守ってこその誠意だろ?

とはいえ、仕事だからしゃあない?
初めから二日間しか組まれていなかったのなら、恋をあきらめるか、とりあえず仕掛けるかどちらかしかないってことだよね。

じゃあ、三日目は?結婚は?
そこで生きてくるのが、最後の男の言葉。
「また逢坂の関は越えなむ」・・・

果たして、この「また」という時が来るのだろうか?
そもそも、斎宮だったら結婚など無理だから、じゃあ、この「また」の時ってのは、天皇や斎宮の身内にご不幸があったとき?そのときには斎宮はやめざるを得ないから。
そうなって都に戻ってきたところを、アターーックってか?
長い長い恋の始まり、ここにあり・・・ってことですね。

それでは、この二人の後日談を、次回ご紹介いたしませう。


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古典入門講座 その八 [伊勢物語]

さてさて、この男。一晩中酒を飲んでは、斎宮さんに会えないことを悩んでいる。
それもそのはず。なんと明日は尾張の国(愛知県)に行っちゃうんだってさ。
だったら、なおのこと、今日中に斎宮さんに会っておかなきゃだめだよね。
だから男は「血の涙」を流しちゃったりなんかする。
それにしてもこの当時の男どもは、ほんとよく泣くよね。
スケートの織田のぶなり選手もわんわん泣いてたけど。
まろはどんなときに泣くかなぁ。
悔しいとき?う~~ん。恋愛で泣くっていうのは、とんとご無沙汰だな、こりゃ。
いいんだか悪いんだか。

とにかく、男はどうにもこうにも身動きをとれずにいると、またまた斎宮さんのほうから動きがあった!
男を接待しているのは、斎宮寮の長官。だから、ここで振る舞われているお酒ももちろん斎宮さんの管轄。斎宮さんは男に差し出す盃の皿に、歌を書いて出しちゃったのだ。
「かち人の渡れど濡れぬえにしあれば」
徒歩で行く人が渡っても濡れない入り江なので・・・。
ちなみに、ここでは「江にし(「し」は強調だよ。)」と「縁(えにし)」が掛詞になっている。

これはつまり何が言いたいかってえと、歩いて行っても濡れない入り江は要するに「浅い」ってことなんだ。・・・いや、浅くたって入れば濡れるでしょ?なんて野暮なことをつっこんじゃダメ。
斎宮さんはこの歌を詠んで、「男の気持ちの浅さ」をなじっているんだ。「なんで来てくれないの?」「私と仕事とどっちが大切なのよぉ」とか?・・・うん、少しうざい女?斎宮さんは。
っていうのは冗談で、ここで接待するのは斎宮さん側のことでもあるんだから、男が自分のところを訪れない理由は、斎宮さんだって十分わかってるはず。
それよりもかわいそうなのは、そうと知らずに男と斎宮さんとの間に挟まれて、のんきにお酒を振る舞っている長官でしょう。まさに道化役だよね。

男は、これを読んでその場でさらっとお返事を書く。斎宮さんは上の句(五七五)だけを書いてきたから、男は下の句(七七)を書いて返事をするんだ。
再び逢坂の関を越えてやってきましょう!!
逢坂の関というのは地名だけど、当然「逢う」という意味も掛けられてるよ。
ちなみにこの当時、男と女が実際に「逢う」時というのは、ラブラブするときのことだから、「結婚」までを指している。つまり、男は「明日は尾張の国に行っちゃうんだけど、またやってくるからさっ。そのときは結婚しようね!!」なんて言っちゃってるわけだよ。いやはや、うらやましいぐらい軽いね、まったく。

ごめん。あともう少し続けます。


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古典入門講座 その七 [伊勢物語]

前回、「丑みつどき」ってことを言って、斎宮さんお化けみたい、なんて言ったよね?
なんでそんなことを言ったかっていうと、狩りの使いの男も斎宮さんも、逢瀬のことに現実味がないみたいだからなんだ。
次の日の朝、斎宮さんからこんな手紙が届きます。
「あなたが来てくれたの?それとも私が行ったのかしら?
昨日のことは、夢だったか現実だったのか、寝ていたのか起きていたのか、わかりませんわ。」

男はこんなこと言われちゃショックだよね。
まろも女性と一夜をともにして、次の日に「記憶にないわ」なんて言われちゃぁ、寝込んじゃう。
でも、そこは色好みの男!こう切り返した。
「夢か現実かわからないなら、今夜俺のところに来て確かめてごらんなさい。」

うぅ~ん、うまい!揺れている女心をさらに揺さぶる。こう切り替えされちゃぁ、斎宮さんもぐらっとくるんでないの?プレイボーイってのは言葉がうまいよね。女もおそらくそんな遊び人なんて嫌だとはいいながら、うまい言葉には正直くらっときちゃうんでしょう。まろには経験ございません。一途ひとすじ玉砕付きです。

男は今夜のことを楽しみにしつつ、斎宮さんを恋する気持ちでもやもやとしてるんだ。
その日も狩りに出るんだけど、ぼーーっとしちゃってる。「野にありけど、心はそらにて」ってあるけど、「歩く」は「ありく」と読んで「歩き回る」という意味。古文では重要な単語です。「心はそらにて」っていうのは現代語でもよく言うでしょ?「上の空」って。これ、試験に出してみたら、「浮の空」って書いた人が結構いたなぁ。気持ちはわかる!!
上の空でうろうろ歩き回ってて、その日の狩りの収穫はいかばかりであったことか。まぁ、恋物語においてそんなことはどうでもよか。男にとって重要なのは今夜っすよ!今夜!!

で・も、そこが物語!
邪魔者が入るんだよね~~。
仕事が忙しいサラリーマン、久しぶりの彼女とのデート!急に残業入る!!みたいな。

ここでは、地方公務員のトップのお方が、わざわざ三重県までいらした狩りの使いさんに、接待をしたいということになった!しかも、この地方公務員。斎宮さんのいる伊勢神宮にお仕えする長官なのだ。
男はやっぱり断れないんだよね~。残業入ったサラリーマンも、急患の入ったお医者さんも、お得意様から電話が入った営業さんも、みんなみんな苦渋の決断で仕事を取らざるを得ないっしょ。

ごめん、斎宮さん!!

ってんで、残りはあとちょっと。
次回につづく~~。


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