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和歌講座 その弐 [和歌]

やあやあ、久しぶりです。
とうとう年度越えをしてしまいました。
昨年度は、ばっちり毎日働いておりましたが、今年は少し楽をさせていただきやしょう。
非常勤になって、週のうち三日間だけ行かせていただきます。
そしてそして、予備校でも教えることになりました~。
こちらは週に一回のみ。
現在は春期講習中でございます。

ってな私事などどうでもよく・・・。
和歌講座が全く進んでおりませんで、あいすみませ~ん。(ですよ風)

もうすっかりどんな授業をやったっけか?ってな気分ですが、
前回は
①梅の花咲ける岡辺に家をれば乏しくもあらず鶯の声
②春立てば花とや見らむ白雪のかかれる枝に鶯の鳴く
という二つの和歌を並べたところで終わってましたね。

最初の歌は、とっても素直な歌ですね。
梅の花が咲いている岡に住んでいるから、鶯の声がよく聞こえるわい。
という歌。
二つめは、
春になったので、梅の花と見間違えたのかな。白雪が降りかかっている枝で鶯が鳴いているよ。
という歌。

基礎知識として、「鶯」と「梅」はセットになっているということを知っておいてくださいな。
花札で遊んでいたまろは、自然と身についていた知識ですが、今時の子はあんまり知らない。
たとえば「花」といえば、古今集の時代では「桜」を指すのだけど、②の歌では「鶯」とセットになって「梅」の花を指しています。臨機応変にね。

さて、①は非常に素直な歌なんだけど、②はどうかい?
梅の花と見間違えて、鶯さんが雪の降っている枝で鳴いてる・・・って、おい。
ってことは、前回でも触れたよね。
この場合、梅は梅でも「紅梅」ではなくて「白梅」だね。雪の比喩なんだから。
雪を梅にたとえている、こういうのを「見立て」の技法っていうんだよ。
古今集で大人気な技法なんだ。
こういうテクニックを用い出すのが、新しい歌の特徴です。

でも、テクニックがなんぼよ!?と思う人は、今も昔もいますね。
たとえば、正岡子規なんかは、この手の歌が大嫌いです。
「誰が見間違えるかってーーーの!!」と言ってまして、だんぜん万葉集派の方なんです、はい。

古今集には似たような歌で、こんなのがあります。
心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどはせる白菊の花
(当て推量で、折るなら折ってみましょうかね、初霜がおりて、どこにあるかわからなくなっている白菊の花を。)
つまり、初霜を白菊に見立てている歌なんですねえ。
でも、正岡子規風に言えば、「どこの世界に、初霜と白菊の見分けがつかなくなる人間がいるんだよ??おうおう!」ってな感じでしょうかね。

でも、ここで白菊を雪ではなくて霜に見立てているのは、なかなかじゃないか。
雪はべたーっとした感じで、ただ白いだけしか白菊に似てないけど、霜はつんつんしてるでしょ。
菊の花びらも、一枚一枚つんつんしてるじゃん?
だから、適当に冬で白いから雪!ってたとえちゃうんじゃなくて、ちゃんと見立てになるように「初霜」を選んでいるわけなんだね。うまいじゃないか。

だんぜんまろはテクニカルな歌にはまっちゃいます。
「むべ山風を嵐といふらむ」とか。
あの、一歩遅れて、「あぁぁ~あ!」となる瞬間、、、、くぅ~、たまりまへん。


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