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土佐日記を読む [土佐日記]

せっかくなので、
昨日のブログに続いて、
実際に土佐日記の一場面を見てみたいと思います。


かく上る人々のなかに、京より下りしときに、みな人、子ども無かりき、いたれりし国にてぞ、子うめる者どもありあへる。人みな、船の泊るところに、子を抱きつつ降り乗りす。これを見て、昔の子の母、悲しきに耐へずして、
   なかりしもありつつかへるひとのこをありしもなくてくるがかなしさ
といひてぞ泣きける。(岩波文庫より引用)
(このように京へ上る人々の中には、ーー京から下ったときにはみんな子どもがいなかったんだけれど、ーー土佐で子どもを生んだ人たちが混じっている。船の泊る所で、子どもを抱きながら乗ったり降りたりしている。これを見て、子どもを亡くした母は、悲しみに耐えきれず、歌を詠む。   子どもがいなかった人が、子どもを抱いて帰る、一方子どもがいたのに今はもういないで、京へ来る悲しさよ と言って泣いた。)


ここのポイントは2つあります。
まず1つは、「みな人」と「人みな」の違いです。

注釈書の多くは、どちらも「全員」の意味、としています。
が、同じ意味であるなら、なぜこのようなかき分けがあるのか、に注目します。

ほかの場面で「みな人」「人みな」がどのように使われているのかチェックしながら出た答えは、

「みな人」・・・集団・固まりでとらえ、「全員」という場合。
「人みな」・・・1人1人それぞれを個人別に見て、「全員」という場合。

つまり、ここでは、
都から土佐へ下る際に、子どもがいなかったのは「全員」だと、
仲間全体を集団・固まりで一緒くたにとらえて言っているのですが、
「人みな」のほうは、子どもを抱いている一人一人を見て、「全員」と言っている、
という違いがあります。

前者は、ほんとうに全員。
しかし、後者はほかにも、子どもがいない人だっているにもかかわらず、
当人の目を通して見れば、子どもを抱きかかえている人しか目に入らない状態なわけです。

なぜなら、この女性は、土佐で帰国直前に愛する子どもを亡くしているからです。

ちょくちょく、子どもの場面が出てきますが、ここでも、
子どもを抱きかかえている人たちの姿が、目に飛び込んできてしまったんですね。
それ以外は目に入らないため、その人たちが「人みな」(全員)と言われている、ということです。


なんとも、泣かせます。


さて、もう1つのポイントは、和歌の中にある、「かへる」と「くる」です。

土佐に来るときは子どもがいなかったのに、
都へ帰る今、子どもがおり、幸せそうに、都に戻ることを楽しみにしている人たちがいる。


一方、本来、自分もそのような楽しい旅路だったはずであるのに、
子どもを亡くしてしまったため、喜びの帰京であったはずが、
悲しく、辛い状況になっている。


子どもがいる人たちは、都へ「かへる」(帰る)

しかし、

子どもを亡くした自分は、なんのために都へ帰るのか、
土佐で子どもと過ごした日々のほうが、
もはや本当の望むべき生活であったのでしょう。

この人にとって、都へは、「かへる」(帰る)ものではなく、「くる」(来る)ものなんですね。



以前は、
さらりと流して読んでいた一節ですが、
前回ブログの小松氏の著書を読み、
改めてじっくり読むと、

涙なしでは読めません。


そう思って、全体を読み直してみると、

なんとも、灰色な世界が広がっているのがわかってきます。


単に、都に帰る喜びが書かれているわけでもなければ、
荒れた海、海賊の存在などに、心配しているだけの話でもない。


そもそも、
この旅路が、この女性にとって、何のためであるのかがわからない。

むしろ、何の意味もないことがわかってくる。


ただ、茫漠と過ぎ去っていくだけの船路。



しかし、都へ戻ることを喜ぶ自分がいるのもウソではない。


だが、実際戻ってみると、
枯れてしまった松、荒れてしまった我が家があるのみ。



とまれかうまれ、疾く破りてむ」(とにかく、ここまで書いてきたものは破り捨ててしまおう)
と書いて、土佐日記が終わっているのも、うなづけます。



なお、
土佐日記の空虚・虚無な世界については、

神田龍身『偽装の言説ーー平安朝のエクリチュール』(森話社、2000年7月)
をご覧ください。
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