土佐日記冒頭部① [土佐日記]
土佐日記の冒頭部について、
私が新たに知ったこともまじえて、お話しておきませう。
をとこもすなる日記といふものを、をむなもしてみむとてするなり。それのとしのしはすのはつかあまりひとひのひのいぬのときに、かどです。そのよし、いささかにものにかきつく。あるひと、あがたのよとせいつとせはてて、れいのことどもみなしをへて、げゆなどとりて、すむたちよりいでて、ふねにのるべきところへわたる。かれこれ、しるしらぬ、おくりす。としごろよくくらべつるひとびとなむ、わかれがたくおもひて、日しきりにとかくしつつ、ののしるうちに夜ふけぬ。
今回は、あえて、かなで書いてみました。
はっきり言って、見にくいですよね。
しかし、このように元は書かれていたと推測されます。
前回のブログで書いたように、漢字で意味を伝えようとするよりも、たとえば「しはす(十二月)のはつかあまりひとひのひ(二十日余り一日の日)」と、音を伝えようとしているのがわかります。
「十二月」と言うよりも「しはす」のほうが、暮れの忙しさが伝わってきますよね。
冒頭部は、超有名なので、置いておきます。
ちなみに、小松氏は、「をむなもし~」というところに「女文字」という語が隠れている、とし、土佐日記が女文字(=かな文)で書かれることの宣言、と読んでいます。よく言われる女性仮託、ということを、小松氏は読もうとしません。
私としては、一見女性仮託であるかのようにみせながら、「女文字」という語がクローズアップするというおもしろさを書こうとしているのだと思いますから、女性仮託がまったく無いとは思いません。
さて、最初の傍線部「いぬのときにかどです」(戌の時に門出す)について見ていきましょう。
「戌の時」というのは、だいたい夜の8時くらいです。
任国土佐から、都へ戻るのに、なぜこんな時間に出発するのでしょう?
ちなみに、門出というのは、いざ出発というよりも、出発に際して、方角の良い場所に移る、と考えられます。
いずれにせよ、夜の8時にこそこそ出て行く必要などないでしょう。
なぜ、こんな時間なのか。
それが、「そのよし、いささかものにかきつく」(その由、いささかものに書きつく)とあるように、
理由が次に書かれていきます。
従来、この箇所は、つまり土佐日記が書かれていった過程、と読まれていますが、
「その由」の「その」という指示語が直前を指すならば、「戌の時に門出す」をさしていないと変、ということで、
小松氏が解釈をしています。
私もそのほうが理解しやすいと思います。
さてその理由とは、・・・・答えに飛ぶ前に、続きを読んでいきましょう。
「あがたのよとせいつとせはてて」(県の四年五年果てて)
国司として任国土佐での4,5年の勤務が終わり、という意味ですが、
ちょっとじっくり味わってみましょう。
都にいる貴族が、国司になるとき、一番トップは任国に出向かず、二番手が実際に現地に飛び、権力をふるうという話、聞いたことがあるかと思います。
そりゃそうです。ふだん、そこそこの暮らしをしている人が、いくら金のためとはいえ、現地に飛ぶなんて、めんどくさいことしたくありません。副長官にまかせておけばいいんです。
土佐日記での「ある人」という人物だって、おそらく同じ心境でしょう。
知らない土地にきて、知らない住民たちをたばねていかなくちゃいけない大変な仕事、
誰でもやりたいと思うような仕事ではなく、重労働です。
しかし、上流貴族の長官とは違い、この人は現地に来ることになった、という身分です。
いわば、出張です。
どうやら、単身赴任ではなく、家族みんなで引っ越してきたらしいですが。
それを考えたら、
「四年五年果てて」という訳が、「4,5年の勤務が終わり」
と、簡単に済ませてよいでしょうか。
通常の国司は、4年を期限に帰ります。
国司たちは、4年経って、都に戻ることが楽しみなわけです。
それが、「5年」になっちゃった。。。
今の心境を想像してみてください。
早く帰りたくて帰りたくて、たまらないといった心境でしょう。
そこで、
「例の事どもみなしをへて、解由などとりて、すむ館より出でて、船にのるべきところへ渡る」
(国司交替の事務引き継ぎを終えて、解由状(自分の勤務に過失がなかったことを、次の国司が承認するめんどうな手続き)を取って、館から出て、船に乗る場所へ移動する。)とあるのです。
なにやら、国司交替の際には、しちめんどうな手続きがあるんですね。
勤務終了、さぁ帰るか!!というわけにはいかないんですね。
いろいろと手続きが終了した、前国司は、
おそらく、非常に開放感あふれた状態だったんではないでしょうか。
「やーーーっと、帰れるぞーーーぃ!」ってな感じ。
その気持ちが、「て」の連続に表われていると言えましょう。
「~~して、~~して、~して、・・・」と行動を矢継ぎ早にとっており、
まだ、船が出発するわけでもないのに、いそいそと、しかも夜の8時に、船着き場に移動しちゃう。
気がせいているのが、よくわかります。
ちょっと長くなってきたので、続きはまた次回。
私が新たに知ったこともまじえて、お話しておきませう。
をとこもすなる日記といふものを、をむなもしてみむとてするなり。それのとしのしはすのはつかあまりひとひのひのいぬのときに、かどです。そのよし、いささかにものにかきつく。あるひと、あがたのよとせいつとせはてて、れいのことどもみなしをへて、げゆなどとりて、すむたちよりいでて、ふねにのるべきところへわたる。かれこれ、しるしらぬ、おくりす。としごろよくくらべつるひとびとなむ、わかれがたくおもひて、日しきりにとかくしつつ、ののしるうちに夜ふけぬ。
今回は、あえて、かなで書いてみました。
はっきり言って、見にくいですよね。
しかし、このように元は書かれていたと推測されます。
前回のブログで書いたように、漢字で意味を伝えようとするよりも、たとえば「しはす(十二月)のはつかあまりひとひのひ(二十日余り一日の日)」と、音を伝えようとしているのがわかります。
「十二月」と言うよりも「しはす」のほうが、暮れの忙しさが伝わってきますよね。
冒頭部は、超有名なので、置いておきます。
ちなみに、小松氏は、「をむなもし~」というところに「女文字」という語が隠れている、とし、土佐日記が女文字(=かな文)で書かれることの宣言、と読んでいます。よく言われる女性仮託、ということを、小松氏は読もうとしません。
私としては、一見女性仮託であるかのようにみせながら、「女文字」という語がクローズアップするというおもしろさを書こうとしているのだと思いますから、女性仮託がまったく無いとは思いません。
さて、最初の傍線部「いぬのときにかどです」(戌の時に門出す)について見ていきましょう。
「戌の時」というのは、だいたい夜の8時くらいです。
任国土佐から、都へ戻るのに、なぜこんな時間に出発するのでしょう?
ちなみに、門出というのは、いざ出発というよりも、出発に際して、方角の良い場所に移る、と考えられます。
いずれにせよ、夜の8時にこそこそ出て行く必要などないでしょう。
なぜ、こんな時間なのか。
それが、「そのよし、いささかものにかきつく」(その由、いささかものに書きつく)とあるように、
理由が次に書かれていきます。
従来、この箇所は、つまり土佐日記が書かれていった過程、と読まれていますが、
「その由」の「その」という指示語が直前を指すならば、「戌の時に門出す」をさしていないと変、ということで、
小松氏が解釈をしています。
私もそのほうが理解しやすいと思います。
さてその理由とは、・・・・答えに飛ぶ前に、続きを読んでいきましょう。
「あがたのよとせいつとせはてて」(県の四年五年果てて)
国司として任国土佐での4,5年の勤務が終わり、という意味ですが、
ちょっとじっくり味わってみましょう。
都にいる貴族が、国司になるとき、一番トップは任国に出向かず、二番手が実際に現地に飛び、権力をふるうという話、聞いたことがあるかと思います。
そりゃそうです。ふだん、そこそこの暮らしをしている人が、いくら金のためとはいえ、現地に飛ぶなんて、めんどくさいことしたくありません。副長官にまかせておけばいいんです。
土佐日記での「ある人」という人物だって、おそらく同じ心境でしょう。
知らない土地にきて、知らない住民たちをたばねていかなくちゃいけない大変な仕事、
誰でもやりたいと思うような仕事ではなく、重労働です。
しかし、上流貴族の長官とは違い、この人は現地に来ることになった、という身分です。
いわば、出張です。
どうやら、単身赴任ではなく、家族みんなで引っ越してきたらしいですが。
それを考えたら、
「四年五年果てて」という訳が、「4,5年の勤務が終わり」
と、簡単に済ませてよいでしょうか。
通常の国司は、4年を期限に帰ります。
国司たちは、4年経って、都に戻ることが楽しみなわけです。
それが、「5年」になっちゃった。。。
今の心境を想像してみてください。
早く帰りたくて帰りたくて、たまらないといった心境でしょう。
そこで、
「例の事どもみなしをへて、解由などとりて、すむ館より出でて、船にのるべきところへ渡る」
(国司交替の事務引き継ぎを終えて、解由状(自分の勤務に過失がなかったことを、次の国司が承認するめんどうな手続き)を取って、館から出て、船に乗る場所へ移動する。)とあるのです。
なにやら、国司交替の際には、しちめんどうな手続きがあるんですね。
勤務終了、さぁ帰るか!!というわけにはいかないんですね。
いろいろと手続きが終了した、前国司は、
おそらく、非常に開放感あふれた状態だったんではないでしょうか。
「やーーーっと、帰れるぞーーーぃ!」ってな感じ。
その気持ちが、「て」の連続に表われていると言えましょう。
「~~して、~~して、~して、・・・」と行動を矢継ぎ早にとっており、
まだ、船が出発するわけでもないのに、いそいそと、しかも夜の8時に、船着き場に移動しちゃう。
気がせいているのが、よくわかります。
ちょっと長くなってきたので、続きはまた次回。
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